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2011年5月18日 (水)

海野宿

北国街道の宿場町として栄えた海野宿は、延長650mで旅籠23軒・伝馬屋敷が59軒もあり、格子戸の家並みは宿場時代と明治以降の建物がよく調和して時代を超えて残されている。(資料による)

海野宿入口の白鳥神社の大木(鎌倉時代の豪族 海野氏の氏神)

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街道脇の用水路 今も清き流れは生活に利用されている

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格子戸の家並み 二階の張り出しは出桁造りと言われ長短二本の格子が珍しい

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残念ながら宿場の中央を車が頻繁に走る(生活道路なので仕方ないか・・・)

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卯建(卯立)と気抜き

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  卯建                    気抜き

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(卯建)うだつが上がらない・・・とはここからきてるようだ

祝日の今日は殆どの建物で国旗が掲揚されていた(現在では珍しい)

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海野宿のメーン通り

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(5月3日撮影)

当時の面影を残すものの、観光地としての施設や土産物店は少なく現代の生活臭が漂っている。

茅葺屋根を想像した海野宿だったが期待を裏切られた感じでもある。

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コメント

林太郎さん、こんにちは^^
海野宿って知りませんでしたが、長野にあるのですね^^
今はこういう建物が少なくなっているので、貴重な地域となっているようです♪
一般的に国旗掲揚も殆ど見られなくなった昨今、、、
この海野宿にはキチンと掲揚されて素晴らしいですし
とても似合っていますよね♪
いいものは建物だけではなく、いろいろなものも残して欲しいものです^^

海野宿はなつかしい。道路中央の用水路は中山道の白井宿と同じだ。徳川幕府が安定し、当初は茅葺の家並みは街道が整備され宿駅とさせれた時分?らしい。
初めて、火除けのウダツを見たのも思い出す。
砂利道なれば、町人やチョンマゲの武士が高楊枝をくわえて歩いていても不思議ではない宿場町。
町中に「夕過ぎの 臼(うす)のこだまの 寒さかな」一茶の句碑、宿泊の翌日なれば気づいたとおもう。
歴史や文化を継承してゆく、大切なことと家並みの写真で痛感をします。次回は?いいですねぇ~。

次回も楽しみにしております。

理彩也さんへ

国道旧18号線で上田市の近くです。
こんな宿があると聞くと立ち寄りたくなるのですよ。
あまり観光地化されてないのでのんびりと散策でき癒されました。

マグレの木さんへ

「夕過ぎの 臼のこだまの 寒さかな」一茶の句碑は見落としましたよ。
なんせ志賀高原経由の日帰りですから(笑・笑・笑)。

茅葺屋根はともかく中央の道路がせめて砂利道で車が通行止めならと・・・。
多少のイメージダウンを味わった海野宿でした。

茅葺き屋根は維持もたいへんですからねぇ。
写真からは、十分宿場町の魅力が伝わって
きますよ。
ローアングルからの写真、上手いなぁ♪

小太郎さんへ

茅葺屋根で保存してもらいたかったが、やはり贅沢ですね。
でも宿場町の雰囲気は味わえました(満足)。

こんにちわ
昔の建物を保存していくのもたいへんでしょうね
茅葺でなくても良としなければならないようです
祭日で国旗がみえます
最近見なくなりなりました

こんばんは。
ここは知りませんでしたが、昔の宿場風情が味わえるところみたいですね。
林太郎さんはこういう所がお気に入りみたいですね。
甘楽町の小幡郷に似てますね。

たなちゃんへ

子供の頃の祝日には各家庭で国旗を掲げたものだが、
最近は全く見ることがありません。
我が家もタンスの隅にでも保存してあるのだろうが、
掲げ方も忘れましたよ(笑)。

hokepieさんへ

宿場町の雰囲気は味わえました。
そう・・・時代劇かかった建物に興味があるのですよ。

甘楽町にもこのような場所があるのですか。
今度 機会をみて小幡郷に行ってみようと思います。
情報ありがとうございました。

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